「you behind that mask」(サンプル)
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コツコツと、薄暗く静かな廊下に足音が鳴り響き、ある部屋の扉の前でピタリと止む。
――ガラリ、バタン。
引き戸が開き閉まる音が鈍く鳴り響く。
部屋の中は殺風景ながらにも整えられた調度品は高級であろうことが窺える一品ばかりである。
そんな部屋の中央に横たわるベットの上で眠る少女らしき姿があった。
艶めいた黒髪が白いシーツに散り、まるで少年のように薄い胸元は微かに上下している。
掛け布団から出された少女の腕には何本かの管が刺さっており、壁に掛けられた機械へと繋がっている。
そんな少女の姿を窓から差し込む月光が蒼白く照らしている。陰影を刻むその表情を静かに見つめているのは、ベット上の少女と瓜二つの顔をしたスーツ姿の少年だ。
少女と同じ艶やかな黒髪は耳下まであり、サイドの毛先がまだ幼さを残す柔らかな頬にかかっている。
少年はベットの側にある椅子へと腰かけると、ベット上の少女の手をしっかりと握った。
闇に溶け込むかのように黒々とした瞳が静かに少女の寝顔を見つめる。
ただ見つめ続けるだけだった少年の表情が今にも泣き出しそうに歪み、ゆっくりと口が開らかれる。
「いつ、目を覚ましてくれるの・・・・・・・?」
それは、ここに来る度に何度も何度も口にした問い掛けだ。
そして、その問いに対して答えが返ってきたことは一度もない。
ただ、沈黙が広がるだけである。
沈黙に包まれた薄暗い部屋に差し込む月光が同じ顔をした少女と少年を照らし出す。
「目を覚ますその時まで私が―――『俺』が護るから。薫が本来居るべき場所を・・・・・それが私に出来る唯一の償いだから――」
夜の闇を映しとっている窓ガラスには、漆黒の瞳に強い意志の光を宿した少年の姿が映し出されている。
少年はシャツの下からいつも身につけているペンダントを取り出すと、手の中でキュッと握りしめる。
「どうか、アナタを巻き込んでしまう私を許して・・・。私の【騎士】―――総ちゃん」
***
都心の一等地に聳え立つ高層ビル。
その近代的な趣の立派なビルは、世界にその名を轟かせる”雪村グループ”の本社ビルである。
本社ビルの最上階は限られた者しか出入りが許されていないフロアとなっていた。
つまり――雪村財閥の御曹司にして、雪村グループ代表である【氷面の少年王】こと雪村薫のビジネスルーム、簡単にいえば社長室である。
「本日付けで社長秘書を務めさせて頂くことになった――沖田総司です」
壁一面に広がるガラス窓から自然の光が差し込む社長室に耳に心地の良い声が響き渡った。
その声に、この部屋の主である少年は、書類へと落としていた視線をドア付近に佇む沖田へと向けた。
「ほぅ。よくこの短期間で秘書資格をとったものだな。しかも俺の秘書になれるレベルの、な」
感嘆の声を上げながらも少年の漆黒の瞳にはなんの感情も映しだされてはいない。
ガラス細工のような瞳に映し出しているのは、ただ目の前にある事実だけだ。
柔らかな微笑みを浮かべながら背筋を伸ばして立つ沖田の姿、それだけだった。
「えぇ、それはもちろんですよ、雪村社長。――それがアナタの出した【条件】なんですから」
沖田もそのことに気づいているのだろう。
微笑みを保ちつつも翡翠色の瞳は敵と対峙しているかのような剣呑とした視線を目の前の少年へと向けている。
「まぁ、そうだな。 だが、俺が出した【条件】はココがゴールじゃないことは分かっているよな、沖田」
「・・・・・・言われなくても分かってるよ、雪村薫――。半年以内にキミに僕を認めさせること、だよね」
「あぁ、そうだ。お前がそれを成し得れば、あの町の再開発プロジェクトは白紙に戻してやろう。つまり、お前の大切な近藤道場を護ることができる・・・・あぁ、あともう一つ、近くの公園にあった桜の木、だったかな」
「僕の大切な場所は僕が護る。お前になんて壊させないからね。覚悟しなよ、雪村薫」
沖田の殺気染みた視線に動じることもなく、革張りの椅子にゆったりと座る薫は酷薄な微笑を口元に刻む。
「覚悟、ね。お手並み拝見といこう。だがな沖田。秘書の資格を取ったとはいえ、所詮は付け焼刃か? 俺はお前の上司・・・・いや、それ以前にお前が勤めることになったこの社の社長なんだが?」
「っ!!――なに、また権力を振りかざすわけ。やっぱりキミ気に食わないなぁ」
殺気の篭った瞳を薫へと向けた沖田は形の良い唇を固く噛み締める。
「お前が俺を嫌おうとどちらでも良いが・・・・・・自分の力で護るんだろう? 同じ土台に立った瞬間に勝負を放棄するか? 俺はそれでも一向に構わないけどな」
「放棄? そんなことするわけないでしょ。僕は近藤さんの期待も背負って来てるんだから。それに、あの桜の木は僕にとって大切な場所なんだ。チャンスが目の前にあるのに放り出すわけないじゃない。キミごときの為に、さ」
「大切な場所、か――」
そう呟いた薫の口元が微かに三日月を象る。
「え・・・・・・・・」
沖田の翡翠色の瞳がその表情を偶然にも捉え、不覚にもポカーンと僅かばかりとはいえ口を開いた状態で凝視したままフリーズしてしまった。
世間では【氷面の少年王】と呼ばれている人物とは思えないほどに純粋な笑みだったからだろう。
そして、それは沖田の記憶に鮮明に残る幼い【お姫さま】の笑顔とよく似たものだった。
だが、それも一瞬のことだった。次の瞬間には、常の【氷面】と呼ばれるに相応しい冷めた微笑へと変化していた。
「何を馬鹿面しているんだ、沖田」
「っ!!・・・・・本当、イイ性格してるよ、キミ」
ハッと我に返った沖田の眉間にみるみるうちに皺が刻まれていく。どうやら、やっぱり気に食わないヤツ、との結論がでたのだろう。そんな感情を隠すこともなく不穏な色を滲ませる声色で嫌味を口にする。
「褒め言葉として受け取っておこう」
「はぁ? 誰も褒めてないんだけど」
「そうか? 俺には褒め言葉以外のなにものでもないけどな――俺の周囲は敵ばかりだからな・・・・・・」
ボソリと呟かれた薫の言葉に、沖田は一瞬にして体内に燻り始めていた怒りを忘れて再び瞳を見開く。
「は?今なんて・・・・」
見間違えでなげれば、薫の表情が今度は今にも泣き出しそうに寂しげに歪んだように見えた。
『血も涙もない、最年少の経営者』――経営者としての手腕に優れてはいるが、人としての感情が乏しい少年、それが世間の雪村薫に対する評価のはずだ。
だが、この数分の間に垣間見た”雪村薫”の人間らしい表情はなんなのか。
「とにかく。せいぜい俺の信頼を得る行動を心がけることだな。俺はこう見えても信頼したヤツとの【約束】は守る性質なんでね」
”雪村薫”らしくない表情は気のせいだとでもいうように、再び沖田を見据えた薫の目には何の感情も見えない無機質なものだった。
その視線と交わった瞬間、何故か沖田の中で意味の分からない苛立ちが沸き起こる。
本当は本人が告げないのなら、その事実に触れるのは止めておこうと思っていた。
というか、その事実に触れれば必然的に面倒クサイことになるだろうと考えた沖田は知らないフリを通す心積もりでいたのだ。
「ふーん、そう。じゃぁさ【信頼】を得るならまず相手のことを知らないとダメだよねぇ」
だが、そんな最初の思惑とは逆に沖田の口からは、ともすれば【社長と秘書】もしくは【勝負相手】という関係が変わってしまう可能性が多大にある言葉がスルリと漏れ出していく。
逆にいえば薫との【条件】を満たすには絶好の手段だろう。
それは、つまり相手のパーソナルゾーンに踏み込む、ということなのだから。
上手くいけば、誰よりも薫の信頼を得る存在、最も近しい者になるだろう。
「・・・・何が言いたい」
心に燻る混沌を隠すようにニッコリと不自然なほどの笑顔を向ける沖田に、薫が訝しげに眉根を寄せる。
お互いの探るような鋭い視線が交差し、二人の周囲には冷やかな空気が漂い始める。
永くも感じる沈黙を破ったのは、沖田の核心を衝く言葉だった。
「教えて欲しいんだよね。何で―――女の子のキミが【男】のフリしてるのか、ってこと」
再び二人の間に緊張を孕んだ空気が流れる。
剣術の他にも体術も多少なりと嗜んでいた沖田は、身体つきから一目ですぐに薫が【女】であることに気づいたのだった。
そして、その事実は明らかに隠されたものだ。雪村薫のプロフィールはどれを見ても【男】とされている。
「・・・・・・・・・・」
だが、薫は沖田の言葉に動揺することなく静かに沖田を見つめ続けている。
「あれ、だんまり?」
「答えるのもバカバカしいだけだ」
「ふーん。否定しないんだ?」
「否定する必要もないだろう。お前は俺の【秘書】なんだからな。そのぐらいも気づかないようなら、お前の目は節穴だと、すぐに切っていただろうな。俺は使えないヤツはいらない」
表情を変えないまま抑揚のない、だがハッキリとした口調で告げる。
「あっそ。でも、僕が気づかなければ黙ったままだったんじゃない」
「当たり前だろう。わざわざ面倒なことを自分から言うわけがないな。・・・・俺がお前を認めているなら話は別だがな」
「・・・・そうだね、僕がキミの立場だったとしたら、やっぱり自分からは言わないね。―――でもさ、実際の話、僕は気づいちゃったんだし、僕がキミの秘密をタテに取引を持ちかけると思わないわけ?」
沖田は口元は笑みを刻みながらもその真意を見逃さないように鋭い視線を向けている。
「俺が女だったらなんだ? 俺が女だろうが、男だろうが、俺自身は何も変わらない。――そう、ただこの現代ビジネスでは男の身の方が動きやすかっただけの話だ」
フン、と馬鹿にするように鼻で笑う薫に沖田の額がピクリと反応する。
「キミが女の子じゃなかったら叩きのめしてたね、確実に」
「俺の信頼を得たくないのなら好きにすればいいだろう。その代わり、お前の大切な場所も失うことになるがな」
「・・・・・本当にイイ性格してるよ、キミ」
「それはお前もだろう。近藤道場の主の前では盛大な猫を被っているようだからな」
それだけ言い放つと、薫は沖田に興味を失くしたかのように書類へと視線を戻す。
「それこそキミには関係ないよ」
”一人にしろ”という無言の訴えに気づいた沖田はブツブツと文句を言いながらも背筋を正し、扉の前に立つと形式通りに頭を下げる。
「では、失礼します。”雪村社長”」
口調を秘書という立場のものに戻した沖田は、それだけ言うと、身体を翻して社長室を後にした。
<サンプル終了>